ロシア・ウクライナ戦争とエネルギー問題


【開戦から「1年」】
 ロシア・ウクライナ戦争が勃発してから1年が過ぎたが、戦争は今も続き一向に終息する気配を見せない。先日、長野県の地方紙に、チェルノブイリ支援に関わってきたウクライナ北部ジトーミル市在住のウクライ人の手記が載った。それには、「二〇一四年、私たちは過ちを犯した」と書かれていた。反テロ作戦という名の実質的な親ロシア派との戦争はその時に始まり、戦闘の中で人々は攻撃的になり互いに敵意を持つようになった」というのである。
 この手記にあるように、様々な戦闘は2014年から続いていた。この年の3月にはロシアがウクライナ領だったクリミア半島を併合している。これを含めてウクライナでは、クリミア半島をロシアが支配し、ドンバス地方の一部は親ロシア派が実効支配するという戦争状態が、この頃から既に始まっていたのである。

【歴史的な経緯から解きほぐす】
 このような複雑な経緯があるので、国際機関や周辺国からの和平への働きかけも「とにかく2022年2月24日のロシアの侵攻前の状態にいったん戻し、残る問題はその後に継続して交渉する」という提案になっていることが多い。ただ、ウクライナ側がこの提案に必ずしも同意しているとは限らないともいわれる。ロシアとの間にはソ連時代のスターリンによる過酷な弾圧の記憶が今もなお存在しており、解決への道筋をより困難なものにしている。当面の戦闘行為を中止させた上で、この戦争を完全に終結させるためには、ロシアとウクライナを取り巻くこの地域一体の、長期にわたる歴史的な経緯から解きほぐしていく必要があるだろう。

【とにかくまず「停戦」を】
 今回の戦争において、ロシアは第一に非難されるべきだが、ロシアを非難し経済制裁を加え、ウクライナに援助を送るだけでは解決は見えない。ましてやウクライナに武器を送ることについては、かえって戦闘行為を長引かせてしまうおそれも大きい。
 すでにロシア、ウクライナ双方で膨大な数の死傷者が出ている。戦争の記憶や近親者が殺されたことに対する怨念は、その地域の中に何百年も残り、それがまた社会を不安定にし、次の戦争の背景や引き金となっていく。そのためにも、様々な「正義」よりも、とにかく「停戦」を、と願わずにはいられない。戦争の記憶が次の戦争を生む土壌となってきた数多くの歴史を振り返るならば、「停戦こそが正義だ」と言い切っても間違いではない。

【日本での原発回帰への動き】
 一方で、ロシア・ウクライナ戦争は、原発問題にも暗い影を投げかけている。ロシア軍は昨年3月に東部のザポリージャ原発を攻撃し、9月には南部にある南ウクライナ原発にもミサイル攻撃を行った。幸いにもそれらの原発は破壊されることは免れたが、ひとたび重大事故につながれば、それこそヨーロッパ全土が放射能汚染にさらされる。
 翻って日本国内では、この戦争による資源価格の高騰を背景に、原発回帰の動きが急速に進んでいる。岸田首相は3月の参院予算委員会で、「エネルギーの安定確保と脱炭素は世界的な課題だ。選択肢の1つとして、原子力に向き合うことを決断した」と述べ、福島の事故以来の原発縮小路線を転換し原発回帰へと舵を切った。国際情勢の不安定化もあって、そんな政府の動きに対する人々の反対の声も以前に比べて弱い。

【放射性廃棄物の問題】
 原発は何が問題なのかを改めて考えてみる。原発反対派は、ともすれば事故の危険性だけをクローズアップして主張しがちだ。もちろんその通りなのだが、しかし原発は事故が危険なだけではない。事故によって外部に拡散される放射性廃棄物は、通常の運転の中でこそ増えていってしまう、そのことを常に心に留めておく必要がある。
 原発から日々生み出される放射性廃棄物は、現在の技術では処理方法のない極めて危険な物質だ。現時点で有効な方法が見つかっていないというだけではない。様々な核種が混ざったエントロピー値の高いこの廃棄物は、物理学の原理的な視点から見ても、将来に渡って処理方法が見出せない可能性の高いものだ。
 現在考えられている数少ない処理方法の一つがフィンランドのオンカロというものだ。
 それは原発の放射性廃棄物を、20億年間にわたって安定してきた地層を選び、そこの地下400メートルの坑道に密封するというものだ。100年かけて6500トンを搬入し、粘土で封印、10万年に渡って密封するという計画が進んでいる。
 地中深く埋めてしまうと聞くと「臭いものに蓋をする」のに似た無責任な方法に思えるかもしれない。しかし、原理的に考えていった結果、「将来に渡っても有効な処理方法は見つからないだろう」という知見に基づいた熟慮の結果だ、ということも出来る。このオンカロでさえフィンランドの放射性廃棄物の全量を処理する規模には未だ足りていないという。原発から日々生み出される放射性廃棄物とは、それほどにやっかいな物質なのである。

【ウランの資源量は高々100年】
 原発の問題を長期的な資源の観点からみたらどうか。原子力発電の核燃料になるウランは世界的に見ても偏在性の強い資源である。日本もそのほとんどを輸入に頼っている。さらにウランを現在のペースで使い続けた場合、資源量としては100年から200年しか持たないと言われているのである。
 高々100年の利便性のために後世代に10万年もの長期の放射性廃棄物管理の重荷を押し付けることになってまでも原発を使い続けるべきなのかどうか、誰もがもう一度問い直してみるべきだと思う。
 現在、世界のエネルギー生産の関心は自然エネルギーに向かいつつある。自然エネルギーの比率は、現時点で既にエネルギー全体の2、3割に達し、地球温暖化の懸念の高まりを背景にさらに急速に増え続けている。もちろん自然エネルギー技術に関しては、まだ未解決の課題もある。それらの課題の解決はすぐには出来ないかもしれないが、数十年ではどうか。仮に百年かかったとしても、10万年に及ぶ後世代への負担とは比較にならないほどの短い期間である。昨今の科学技術の発展速度を考えれば、それだけの期間があれば、さらに画期的な成熟した技術が開発される可能性も十分にある。すでに太陽光、風力、水力などの自然エネルギーのコストは原発を始めとする他のエネルギーよりも安くなっていると言われている。
 改めて10万年という期間について考えてみよう。これまでの人類の文明史よりもはるかに長い期間の危険物保存を後世代に負担として押し付けることは、誰が考えても不合理であり、人として許されない所業なのではないだろうか。

【化石燃料に頼るロシア】
 ロシア・ウクライナ戦争と原発への回帰という二つの問題を並べて論じてきたが、この二つは実は切りはなされた問題でもない。
 現在ロシアは国の経済を地下資源に頼っており、特に化石燃料の比率が高い。ロシアの輸出品の中では、石油や天然ガスの比率は金額にしてなんと49%も占めている。一方で機械などの工業製品の輸出はどれも数パーセントに留まっており、ロシアは製造業においては、欧米各国に完全に後れを取っているのである。
 先に述べたように、世界のエネルギー供給状況は化石燃料から自然エネルギーへと急速に転換しつつある。化石燃料だけに依存するロシア経済はいつか行き詰まるだろう。そんな将来に対する懸念がロシアの政府や人々の焦燥感や不安感を呼び覚まし、それが深いところでロシアが無謀な戦争にのめり込む背景の一つとなっているのではないだろうか。

【産業構造の転換という課題】
 この不安を払しょくするためには、ロシアの産業構造を化石燃料依存型から様々な分野にバランスよく広がった民生全般に渡るものに転換していく必要があるだろう。国内のエネルギー需給もまた、自然エネルギーを中心にしたものへと切り替わっていくことになる。そうなれば自然エネルギーの本性上、ロシアの産業や社会全体も、長い目で見れば、分散的で循環型の性格のものへと移行していくだろう。それはプーチンが目指しているとされる、「ロシア帝国の復活」といった時代にそぐわない国家像とは大きく隔たったものとなるに違いない。
 そのような転換のための国際的な働きかけや援助も重要だ。これは中東を始めとする多くの産油国が同様に直面する課題でもあり、対応を間違えるとこれもまた世界の不安定化の要因になってしまう。そのためには各国が相互に連携し、経過措置などを十分に取りながら長期的、持続的に取り組んでいく必要があるだろう。

【戦争の終結に向けて】
 ロシア・ウクライナ戦争の根本的な終結に向けては、さらに困難で長期にわたる過程が必要になるだろう。先に書いたように、それはこの地域の近代史全般を遡りながらの膨大な作業になる。長い歴史の中に積み重ねられた怨念の深さを前にして暗澹たる気持ちに襲われることもある。問題の根深さを考えると、最終的な終結に至るには、現在の国家、国境、あるいは国籍といった基本概念自体までも相対化していくことが必要になるかもしれない。
 またそんな作業は、一つの政府や特定の指導者、または有能な専門家の力だけではとうてい実現出来ないだろう。おそらく世代を越え国境を越えた多くの人々の長い期間に渡る共同の作業に委ねられることになる。そんな無数の無名の人々による営みこそが、分散的で循環的な新たな編成原理に基づく将来の社会に深いところで繋がっていくかもしれない。この論考がそれに向けた準備作業の一つになっていけば幸いである。

            柴垣顕郎 (テオリア127号より転載)